無我~生きる意味:困った…悟りの先に希望がない
- BOBIN
- 10月6日
- 読了時間: 3分

夢の中で神様が出てきて「あなたはよく頑張っているから、何かご褒美をあげよう。何が欲しい?お金かな?」と聞いてきた。とっさにお金は違う気がしたが、うまく言葉にならずただ下を向いて首を振った。
私は神様に拾われた身だった。そうでなければ今もあのまま肩まで汚泥に浸かって、自分の存在がいかに無価値か、自問自答しながら同じところをグルグル這い回っていただろう。
目に前に垂らされた細い糸をおそるおそる掴んで辿って、想像もしていなかったこの景色がある。ここでは神様の手伝いをさせて貰っているのだ。
あぁ、これはアレだな。よく童話なんかに出てくる凡夫に対する試練の問いだ。
金の斧か鉄の斧かと提示されて、金の斧だといえばハズレ的な。私を試そうということか…。お得意の猜疑心が頭をもたげる。
とても神様に向かって言うようなことではないが、願いはひとつだけある。けれど、このきらぎらしい状況でそれはあまりにも貧相で場違いに思えて言い出せなかった。
天上界にきてこれまで知らなかったこの世というものを文字通り俯瞰することができた。人類の歴史、生き様、現れては壊され折り重なり積み上げられていく文明の数々。その中でひとつ気がついたことがあった。いつの時代も人は一様に生きることに意味を求める。どんなに恵まれていても、逆に恵まれない境遇に置かれても、生まれては消えて行くその運命の中に、一粒の意味を見出そうとする。なぜ一様に…?と疑問が生まれると同時に、気がついてしまったのだ。生きる意味を欲しがるのはそもそも生きることそのものには意味がないからではないか。与えられた空白を埋めずにはいられない性だ。ただ一度の人生を生きることに意味がないなんて、誰もが受け入れたくない不都合な事実ではないか。現に私自身がそのことに気がついて全てがどうでも良くなった。どうやらこんな私ですら、悲惨な人生の先にはそれなりになにか意味のある結末が用意されているのだと、そこを目指しているのだからと、知らず知らずのうちに期待をしていたようだ。心の中は静かな絶望に満たされていった。現実にあるのは今、この瞬間の積み重ねだけ。そのことの後にも先にも何もない。
「いっそ、もう終わりにしてくれんかな…」そう呟いた瞬間、スクリーンが消えるように目の前が暗くなった。いや…ちょっと待てって、今の独り言だし!
目を開ければ、見慣れた天井。顔の横にはお気に入りのモフモフ毛布、これが首の周りに触れていると安心して眠れる。その向こうではスマホのアラームが鳴っている。
目覚めただけなのにやっちまった感が凄いのは、間違いなくあの夢のせいだ。
うんざりするような気分は今に始まった事ではない。そういや今日は急遽休むことになった上司の代わりにプレゼンを任されていたのだった。ろくすっぽ引き継ぎもなく…。
思い出したらムカムカしてきて「まじでどーでもいいわ、クソが」と吐き捨てた。
それで、蓋を開けてみればプレゼンは大好評に終わったのだった。元来、緊張しいのはずの自分が少しも緊張しなかった。それは心底全てがどうでも良くなったおかげといえばおかげだった。自分の評価とか別に知らんし、今を積み重ねているだけのこと。明日も知らん。期待もない。そして恐怖もなかった。
なんなんだ神様、これがご褒美ということなのか。
こんなことなら恥を忍んで言ってしまえばよかった。あれが絶好のチャンスだったのに。
神様、聞こえますか。
今さらですが、私は明日へ進むための、少しばかりの希望がほしい。
生きるために、この人生の先にどうか意味をください。



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