過敏性腸症候群と心理カウンセリング‐「社会的な死」と隣り合わせの日々
- BOBIN
- 2025年12月9日
- 読了時間: 10分

「日本人は胃腸が弱い」とか「腸は第二の脳」だとか、諸説あるけれど、これは医学的なブログではなく、あくまでも「心の風景画」ということなので、心と腸に関わる話を綴ろうと思う。最初に断っておくが、今回は「うんこ」の話を避けて通ることができない。だから、食事中の方(特にカレーは禁忌)、申し訳ないが、今はそっとこのページを閉じることをお勧めする。
「過敏性腸症候群(過敏性大腸症候群と呼ばれることも):IBS」という病気をご存じだろうか。厳密な定義については触れないが、雑に説明すると「胃腸に器質的疾患が認められないにもかかわらず、おなかの具合が悪くなる(下痢、便秘、腹痛など)症状が慢性的に続く、というものだ。「おなかの具合が悪くなる」程度なら可愛らしくも聞こえるが「うんこを漏らす危険と日々隣り合わせ」だとシャレにならないし、もう一歩も譲れない。これは大げさではなく大人にとっては「社会的な死」と同じ意味だ。ここに記すのは、私のIBSの始まりから、完治までの約30年に渡る物語となる。とはいえ、そんなに長編を書く気もないので、さっくりと進めていきたい。
始まりは20代。私は夜勤バイトを始めたころで、コーヒーを沢山飲むようになった時期でもあった。今に比べれば相当体力もあったが、カフェインの覚醒作用にかなり依存してもいた。そして、これは誰にでもあることと思うが、ブラックのコーヒーを多めに飲むと、腹を下すということを初めて体験した頃でもあった。
ある時、友人の車で海釣りに行った。一日釣りをして、帰り際、自販機で缶コーヒーを買い、帰りの車内で飲んでいた。休日の夕方、海沿いの道は渋滞気味だった。そんなとき、腸がぐるぐるするような感覚を覚えた。しばらく我慢するが、私の腸は主のそんな我慢に忖度することもなく、押したり引いたりしながらじわじわと本気をだしてくる。さすがにこれ以上はヤバい、と思い、運転している友人に「トイレに行きたいから、どこか店に寄ってくんない」ということを伝えた。友人は「マジ?」と言った。友人がどこかの店に車を停めてくれるだろう、と安心したせいか、私の腸は少しだけ大人しくなった。しかし、車はコンビニ、ファーストフード店、スーパーをことごとく通り過ぎていく。何度目かの波に耐えかねて、もう一度「トイレ行きたいから、あそこの〇〇店に車入れて!」と友人に訴えた。友人は「え、本当だったの?」とニヤニヤしながら言って、車を〇〇店の駐車場に入れてくれた。このとき脳にかいた大汗と、もう一瞬たりとも待つ気がない俺の腸、「本気だったの?」という無理解の言葉で彩られた究極のピンチが、私の過敏性腸症候群の序章として脳に深く刻まれたのだと思う。
その後、コーヒーが一つの刺激物ではあったが、外出先でたびたび不用意な便意に見舞われるようになった。便意といっても「あれ、なんかトイレ行きたいかも」などという予告めいたものとはレベルが違う。「オラ!お前、今行くからな!逃げんじゃねぇぞゴラァー!!」という、まさに引っ込みがつかず、脅迫的で時限爆弾的な便意なのである。明らかに俺を殺しに来る、純粋な悪意に満ちている。トイレが近くにある場所ならさほど問題がないが、こいつは周囲を見回してもそれらしい建物がないときに、狙っているかのように訪れる。
これを繰り返すうちに(トイレに行きたいけれどトイレがない不安)と(いつ抜き差しならない便意に襲われるかわからない不安)の境目がなくなっていった。いつでもどこでもまずトイレの位置を気にするようになった。アウトドアが嫌いになり、混雑する場所や閉ざされた場所が嫌いになり、車移動が苦手になり、予測不能な知らない場所を恐れるようになっていった。
同時に緊張や気の進まない状況も刺激となった。私の場合は、不安・緊張を感じると脳が震えるようなざわざわした感覚を覚え、その感覚が瞬時に首のうしろを通って背中、下腹部へ伝わる。そして面白いくらい愚直に腸が動き出し、下痢をする。それも、一度トイレにいってスッキリするならまだ良いのだが、それがトイレを出た後に2度3度と繰り返すことも少なくない。子どもじゃあるまいし、そんなに何度もトイレに足を運ぶのは社会人として恰好がつかないし、周囲の心配をも誘う。その心配の視線すら、大変恥ずかしく、もはやいたたまれない。「ゴメン、なんかうんこ止まんなくてさwww」と言えるほど、無神経で下品な人間になれたらどれだけ楽かと、何度も無駄な想像をしたが、正直それも勘弁してほしい。
一般的には「朝、自宅で排便していけば、外出先でそれほど(大)をすることはない」というのが大多数だと思うが、自分の場合はちょっと違う。朝、2,3回の排便をする。それも、何を食べてもなぜか日々これ水様便。一旦は(もはやこれまで)という程度にスッキリするが、家を出るとき玄関で靴を履こうとすると謎の不安感がわいてくる。これを無視して外に出ると大変な目に合うため、また靴を脱いでトイレへ…ということも多かった。それでも日中に何か緊張する場面に出会うと再び腹が下るのだから、いったい俺の身体はどうなっているんだとも思った。
色々な整腸剤、下痢止めなども試した。食べ過ぎないよう、冷やさないように、水分を摂りすぎないように気をつけてみたが関係がなかった。通常なら腸で水分が吸収されて、形のある便になるはずなのに、こんなに毎日水様便になるということは何か機能的に異常があるのではないだろうかと、近所で割と評判の良い、消化器内科の個人病院を受診したこともある。医師は私の説明を聞いてあっさりと過敏性腸症候群と診断し、挙句に「いいじゃない、いつもお腹がスッキリして」と言い放ち、釈然としない私の表情を見てビオフェルミンを2週間分処方した。意を決して受診した病院での医師の態度に、まだ若かった自分はとても傷ついたし、絶望した。
就職した会社は、ある意味安全だった。毎日同じパターンの生活、同じ顔触れ、決められた範囲の業務、トイレの数も多い、そのような中ではあまり腸が暴走することは多くなかった。ときどき上司の思い付きで、人前に出るような慣れない仕事を任されることもあったが、少しの混乱でやり過ごせていた。社内での日々に大きな混乱はなかったように思う。
結婚して、子どもが生まれると家族でのお出かけというものが増えた。妻は私の不調を心配するでもなく、取り立てて頓着もしなかった。「ちょっとトイレ…」と言えば「あ、そう」という程度。これが自分には救いだった。
それでも初めての場所や自由に行動できない環境への不安が和らいだり、俺の自由奔放すぎる腸が改心したわけではなかった。いつだって脳内のざわざわは起こり得たし、知らない場所へは行きたくなかった。自分で車を運転するようになったが、運転自体が緊張と恐怖の連続だし、だからといって人の運転する車に乗るのは自由が利かないのでもっと嫌だった。ただ、日々の対処に少し慣れたというだけだった。
いつしか私の脳には「不安スイッチ」が付いていることに気が付いた。何かのきっかけにこのスイッチは簡単にONになる。例えば街道沿いの大きな交差点で信号待ちをしている。周囲にコンビニなどの店舗はない。ここで(もし今、腹が痛くなったら…)と想像するだけで脳の奥がざわめき「不安スイッチ:ON」となり、数分後には腸が活動し始める。(そうか、脳から何か指令を出すホルモンが出ているんだな)という予想が生まれた。
あるとき、子どもを連れて室内アミューズメント施設に出かけたことがあった。3D眼鏡をかけてスクリーンを観るアトラクションに30分ほど並んでいた。ここでまた、じわじわと俺の腸は動き出していたが、子どもの手前、いまさら列を抜けるなんてことはできない状況だった。順番が来て座席に座ってベルトをしたときは腸が暴動寸前で(もう嫌だ、逃げ出したい、早く終われ)という気持ちだったが、ここでふと思い浮かんだことがある。(脳を騙したら便意は引っ込むのか?)
アトラクションが始まる前の薄暗い室内、みんなが3Dメガネをかけているのを確認して、俺は満面の笑顔を作った。(自分を騙せ!俺は今、最高に楽しいんだ!!きゃっほう!)と強く思い込んだ。もし誰か私のこの様相に気が付いている人がいたら、相当恐ろしい気持ちにさせてしまったのではないだろうか。
アトラクションは15分程度だったと思う。最初は自分を騙して楽しいフリをしていたが、始まってしまえば内容自体が普通に楽しいものだったので、自分を騙すのは最初だけでよかった。そして、アトラクションが終わったときは便意は嘘のように消えていた。このことから私は(脳を騙す)という新たな対処方法を手に入れたのだった。
しかし(脳を騙す)作戦は小さな不安には効果があったが、強烈なストレスの前には効果がなかった。例えば妻の母(義母)に呼ばれて行かなければならないときや、自分の実家に帰らなければならないとき、これらは全身倦怠感と同時に心底具合が悪くなるほど苦手なことだったので、(脳を騙す)くらいの方法では太刀打ちできなかった。今となって思えば、これらは自分にとって最大の「毒」だったのだ。
こんな大の大人が、自分のうんこに振り回されて、30年近く緊張と不安におののいて生きてきた。こんな滑稽で恥ずかしい話に、想像もしていなかった展開が訪れた。
私は50歳代になって、あることをきっかけに心理カウンセリングに通うようになった。自分のことを人に相談するなど、自分の人生ではありえないと思っていた。このときも、自分ごとではなく家族のことを相談するために赴いたものだった。その期間は1カ月に一度、1年半と少し続いた。初めての場所、閉ざされた空間、知らない人とマンツーマン、自分にとっては最も避けたいシチュエーションだったが、そんなことは言っていられない状況だったのだ。いつも1時間ほど早めにカウンセリング場所の最寄り駅に到着するようにして、カフェで時間を調整しつつ、次第に不安が極まってきたタイミングでトイレを済ませ、カウンセリングに向かうようにしていた。
最初、カウンセリングで相談したい内容は家族のことだったが、次第に自分の話もするようになった。これまでの人生の中から思い起こされる様々な出来事を取り留めもなく話していく中で自然にIBSにも触れることになった。誰にも、妻にも話したことがない、滑稽でいて涙ぐましいほどの自分の努力を話した。カウンセラーさんはただ黙って、静かにうなづきながら聞いてくれていたと思う。そして最後に「ずっと大変な、恐ろしい緊張の中で過ごしてきたんですね」という言葉をくれた。
半年ほど通っていくうちに、いつしかカウンセリングへの緊張は感じなくなっていった。次第に(楽しみ)というのとは少し違うのだが、自分のことを語るなかで、心の中の多重圧縮ファイルに閉じ込めてなかったことにしてきた価値観や感情がどんどん溢れてくることを、喜ばしく思え、その変化の過程を楽しめるようになっていったからだった。
この頃には家を出る時間もだんだんゆっくりとなり、カウンセリング前のトイレへの緊張も弱まっていった。しまいには予約時間のぎりぎりでカウンセリングに滑り込むことすらあった。
最終的にわかったのは、自分が幼少期から(いつこの世界から追い出されるかわからない)という、もの凄い危機感と恐怖心を抱えてきたこと。「~でなければならない」「~でなければ価値がない」という、いつしか身に着けたルールを守るために、自分自身をがんじがらめにし、身動き取れなくなっていたこと。まさに自分を失くしていた。そのことがわかったら、これまでの自分がかわいそうに思えて、やたらと泣けた。
カウンセリングが進むにつれ、気が付けばあまりトイレの場所を気にしなくなっている自分がいた。カウンセリングが終結して、しばらく経つころには急な便意、日々の下痢がほぼなくなったことに気が付いた。普通に朝、バナナうんちに出会う。何十年振りなのだろうか。心の在りよう一つで、こんなに体調が変わるものなのかと驚いている。
あと、最初にコーヒーがきっかけのように書いてしまったが、コーヒーは今でも好んで飲んでいる。一応、20代の頃のように空きっ腹に流し込んだり、一日に何杯も飲みすぎないように気を付けてはいる。
妻の母(義母)が亡くなった今、相変わらず具合が悪くなるのは自分の実家に帰るときだけだが、これも以前のように全てを吞み込まれるような強烈な不安感ではなくなった。
自分は脳科学や心理学など、そっちの詳しいことは知らない。
また、カウンセリングを受けたら誰しもIBSが治る、と言い切れるものではない。
このブログはあくまでも自分の場合の一例であるが、どうも心と脳と腸はつながっているらしいと感じた体験だった。
ここで語ったことが同じ苦痛を抱えている誰かの助けになることを願っている。



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